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変な病気に捕まってからの手記

強皮症を発症してから診断されるまで&治療経過について忘れないうちにとまとめてみました。多少記憶が曖昧になってきております。正しく診断されるまでの経過は、Excelでこんな風にまとめてありました。

2005年/
3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月
胃痛・むかつき
レイノー症状
指のむくみ
疲労感・だるさ
指の痛み・こわばり

 

ひと夏越える間に膠原病の特徴である(らしい)レイノー症状や指のむくみ・こわばりなどの症状が次々と現れ、そのスピードには恐ろしいものを感じました。

2005年 3月 胃痛・むかつき(胃カメラ・ピロリ菌検査異常なし)
2005年 4月 レイノー症状発症(整形外科にて異常なし)
2005年 5月 指の浮腫み・手から腕の皮膚つっぱり・鎖骨の皮膚のテカり
2005年 6月 レイノー治まる
2005年 7月 疲労感・だるさ
2005年 8月 指の痛み・強張り(膠原病科にて血液検査陽性、A大学病院紹介)
2005年 9月 A大学病院膠原病科受診、経過観察 レイノー復活
2005年10月 :
2005年11月 B大学病院皮膚科受診・検査入院
2005年12月 治療開始 手指のリハビリ&ステロイド内服開始6日目で皮膚軟化
2006年 1月 ステロイド内服開始後6週目にて、皮膚硬化の戻り
2006年 2月 皮膚軟化順調

 


1)発病 謎の胃痛

年明けから軽いけれどしつこい胃痛と胃もたれに悩まされていた。近所に夕方だけ開いている内科が開院したのをきっかけに、3月になってからやっと診ていただいた。血液検査は異常なし。胃炎の薬(ガスター10)と吐き気止め(プリンペラン)で様子を見ました。改善しないので、総合病院の内科を紹介してもらい、胃カメラとピロリ菌検査をしたが、異常なし。試しにということで、逆流性食道炎の薬(タケプロン)を出していただくが、これも効果なし。

3月の初診時から、食生活を指導された通りに守っていたせいか、5月頃には何時の間にか気にならなくなっていた。食生活とは、甘いモノ・辛いモノ・冷たいモノ・脂っこいモノ・アルコール の5種類を絶つこと。見事に私の嗜好の逆を心がけなければならず、味気ない日々が続く。

 

2)初めてのレイノー

この、胃痛やもたれと関連するか否か分からないが、胃カメラを飲んだ日の午後、突然、両手の指(主に親指と人差し指)にレイノー症状が現われた。4月なのでまだ肌寒い日だったと記憶している。その日を境に、レイノーが頻発し、1日に数回出ることもしばしばあった。特に、自転車に乗ったとき、バランスチェアに座ったときに起きやすい。この頃のレイノー症状は寒冷刺激とはまったく関係なかった。

レイノー症状を初めて経験した方は皆さん同じ気持ちになるのだろうか。自分の手が、死んだ人の肌の色と同じになるのだ。感覚が無くなるので、違和感を感じて手を見ると、真っ白(というか血の気のない肌色)になっている。なんだか恐ろしい気持ちになった。

 

3)ドクターショッピング

胃カメラの結果を聞きに行ったついでに、整形外科で診てもらった。整形外科的な検査の結果、異常なし。神経の異常から来るものなら、左右対称に現われることはまずないとのこと。膠原病科を受診なさい、と言われた。例の内科の先生にも相談した。近所に、膠原病内科が専門の先生がいると教えていただいた。電話で問い合わせたところ、4月いっぱいで別の病院に移られるとのこと。膠原病の検査は、結果が出るまでに3週間ほどかかるので、と受診を断られた。

5月に入り、手指の浮腫み、手の甲のつっぱり感、鎖骨のテカリなどが気になり始めた。絶対に、何かおかしい、と思った。そう思いながらも、6月に入りレイノーが治まってしまうと、日々の生活に紛れてそれ以上追及するのをやめてしまった。

インターネットで調べて隣町に膠原病を扱っている先生がいることが分かった。そのうち行こうと思いながら、やっと8月にH医院を受診。血液検査の結果、なんらかの膠原病であることはわかった。関節には異常なし。リウマチ因子は陰性。車で1時間ほどのところにある、私立のJ大学病院の膠原病内科に紹介状を書いてくださった。

その頃、生活で一番困っていたのは、手の浮腫みのために、見かけ上の握力が落ちてしまったこと。フキンや雑巾がきつく絞れない。ペットボトルが開けられない。趣味のビーズ細工で、ビーズが摘めない。

H先生に、とりあえず浮腫みを取る術はないか相談したところ、お茶などで利尿作用を促すぐらいしかないと言われた。仕方なく、インターネットで検索して、利尿作用を促進する方法を探しまくった。ツボや運動、マッサージ。もちろん、お茶もコーヒーも飲んだ。しかし、まったく効果がなかった。

さて、紹介先J大学病院の膠原病内科受診の日。宛名の先生は休診。空振りでまた1週間後に出なおし。9月に入っていた。2時間ほど待ってようやく呼ばれる。この血液検査の結果だけでは、まだ何の膠原病かは特定できない。詳細な検査をしても、今の段階で確定できない可能性が高い。さらに、確定できたとしても、症状緩和のためにしてあげられることは何もない。よって、詳細な検査は、症状がもっと進んでから受けたほうがよい、と言われ、何もせずに帰宅した。情けない気持ちだった。

暑いさかりだったのでレイノーの恐怖は忘れていたが、手の浮腫みと甲のつっぱり感は確実に進行しており、診断できるまでに進行するのがいつなのか、それも不安だった。何よりも、取り柄のない自分にとって、たった一つの自慢の手が、醜く変色していき、指も太くなり、指輪でおしゃれをすることもできなくなってきたことが悔しかった。鎖骨のテカリも進んでおり、ペンダントもあまり楽しめなくなっていった。できるおしゃれは、ピアスだけだった。

膠原病と分かってからの家族の落胆と対応は頭の下がるものだった。膠原病=自己免疫疾患、ということから、自己免疫力や自然治癒力のアップを図るためにできることを考えた。食事はもちろん気をつけるようになったし、住環境についても、思いきって空気のきれいなところに移ろうということになった。自営であまり土地にとらわれない業種だったこともあり、いずれは田舎に移住しようと思っていたが、それが早まっただけの話だ。

9月の1ヶ月弱で数カ所を回り、えいやで決めた。その物件を見に行く途中の高速道路の早朝のサービスエリアで、レイノーが再発した。

10月末の引越しまで1ヶ月弱、荷物の整理に追われる中、手の不自由さがいよいよ生活の足を引っ張るまでになってきた。自転車に乗ったが、ブレーキが握れない。文字が思ったように書けない。携帯が片手で操作できない。箸を持つ手に力が入らない。洗濯物の皺を展ばすときにボタンなどが当ると手が痛い。

引越しはなんとか済んだが、このままでは運転は無理だった。慣れない道、握力の低下、買物などの外出はすべて主人に連れていってもらった。

 

5)次第に鬱状態へ 障害になった強迫観念

実は、私は社会生活に支障はない程度の潔癖症だった。正確には「汚染に関する強迫性障害」というらしい。先端恐怖症や、確認癖などと同類の症状だ。もちろん、できれば治したいとは思っていたが、治さずに生きてこられたため、42年も放っておいたことになる。

それが、この膠原病の症状により、表面化し、治さざるを得ない状況になっていく。

引越し先での荷物整理。大量の荷物を少ない収納に片付けていく。布団などの大物もある。大量の雑巾を1日に何枚も洗って使う。洗濯場と風呂場が狭くなった(今までが広すぎた)。そういう状況の中で、指と手首の浮腫みのため、狭い場所での作業がはかどらない。顔は風呂場で洗い、雑巾は洗濯機で洗うようになった。皮膚が硬化してきていた。化繊の軍手が痛い。柔らかい素材の手袋を買ってもらった。

従来どおり、自分の気に入ったように、住居やモノ、自分を清潔に保つことが難しくなってきた。時間をかけてでも、やり遂げたいが体力も気力もなくなってしまい、イライラが強くなってきた。週に2,3日片付けをしては寝ている、そういう状態になった。

 

6)K大学病院との出会い

引越しを境に、症状が段々はっきりしてきた。レイノー・手の浮腫み・皮膚硬化。レイノーは1日に何度も何度も出るようになっていた。この症状を元にインターネットで検索したところ、厚生労働省の特定疾患のページと強皮症研究会のページがヒットした。症状を読むにつれ、自分は、全身性か限局型かいずれかの強皮症ではないかと思うようになり、近所に確定診断できる先生がいたら紹介して欲しいと相談のメールを出した。すぐに研究会のG先生からお返事がいただけ、確定診断できても治療はできないかもしれないので、直接検査に来るようにと言ってくださった。

迷っていた。G先生をはじめ、強皮症ご専門の先生方はK大学病院だ。450キロという遠いような近いような、中途半端な距離。通院はできないだろうが、確定診断だけはしていただきたい。でもその後どうやって治療することになるのか?そもそも、自分が大それた病気であったためしがないので、全身性強皮症だとは思えなかった。K大学病院まで行って診ていただいて、膠原病ではない限局型だったら無駄になるし、どうしよう…。結局、最悪のときの最短を考え、K大学病院に診察の予約を入れた。

 

7)一目で診断がついた(?)

G先生は、手の甲や指の表を、両手の親指でつまむようにし、スコアと呼ばれる数値を記録していった。お腹と脛も同様。G先生は血液検査の結果を待たずに、触診から、ほぼ全身性強皮症で間違いないでしょう、とおっしゃった。全身性強皮症にも数種類の経過をたどるものがあり、それは精密検査をすれば分かり、それにより治療方針も違ってくるとのこと。2週間の検査入院がその日のうちに決まった。

 

8)特定疾患

何か心配なことは?と聞かれ、この状態では働けないことと、入院治療となると経済的に不安であることを伝えたら、特定疾患の申請ができる病気なので、申請するようにと言われた。 保健所にこれを持っていきなさい、と渡されたのが特定疾患申請用の診断書。

その場で事務の方に保健所への電話連絡を指示され(☆1)、私が住んでいる県では、その日の検査・診察については、特定疾患が適用されないことが分かると、検査項目を絞り込んでくださった。すぐに分かったほうがよい項目と、入院してからの検査でも間に合う項目に分けて、なるべく今回の負担が軽くなるようにしてくださった。通常では行わない特殊な検査で項目も多いので、費用も馬鹿にならないのだと察する。

(☆1:診断書の日付から適用になるかどうかは、住んでいる都道府県によって違う。私の住んでいる県では、書類の提出日から適用になる。)


9)入院そして検査

遠方なので2週間の検査入院が必要とのこと。入院の日取りを決めることになった。生理が終わってからの入院にしたかったが、そんなこと言っていたら年が明けちゃうよと先生に言われ、一応帰宅後考えてから週明けの入院と決めた。

2週間の検査入院後、一番短い場合でさらに2週間の治療で退院できるとのこと。私の場合、ラッキーなことにそのとおりになった。入院治療期間が最短だから軽いのかというと、一概にそういうわけでもないらしい。私の場合、抗核抗体の一種、抗トポイソメラーゼI(Scl-70)抗体が陽性である「びまん型」だった。もうひとつの「限局型」の進行が緩やかなのに比べ、発病から2年ぐらいで症状が急激に進むのが特徴なのだそうだ。

  強皮症の分類

10)QOL(生活の質)について

  やはり文献に書かれている「QOL評価表」から引用。

質問項目
1. 排泄の後始末
2. コップで水を飲む
3. 箸、スプーンまたは自助具を使って食事をする
4. シャツを着る、脱ぐ
5. ズボンまたはスカートを着る、脱ぐ
6. 歯ブラシで歯を磨く
7. 顔を洗い、タオルで拭く
8. タオルを絞る
9. タオル、スポンジなどで背中を洗う
10. 椅子に腰掛ける
11. 足を投げ出して座る
12. 階段を昇降する
13. 屋外を移動する(杖、松葉杖、車椅子:使用するものに○)
14. 公共の乗り物を利用する(バスや電車)

治療開始後1年たった今読むと改めて、当時の不自由さを思い出す。
私の場合、治療開始直前は排泄の後始末までも不安を覚えたほどだった。狭い場所での脱衣や洗顔なども時間がかかった。

 

 

 

 

 

 

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